『ライオンズの原点』 その1 | 小 松 武 道 | ||
PR広報IT委員長より会報誌のコラム形式で毎号への執筆を依頼されました。 最初にライオンズの原点である「メルビン・ジョーンズについて学ぶ」という冊子が日本ライオンズ創設20周年を迎えるに当たり発刊されました。 ここに「今は亡き創設者メルビン・ジョーンズの思い出の記」より抜粋し て紹介したいと思います。 |
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ライオンズクラブ国際協会の創設者兼総幹事であったメルビン・ジョーンズは、1961年6月1日木曜日の午後イリノイ州フロスムーアの自宅に おいて82歳の生涯を閉じた。 1879年(明治12年)1月13日、アリゾナ州フォート・トーマスで生まれた。父は米国陸軍大尉カルビン・ジョーンズ、インディアン討伐隊として勇名を馳せたネルソン・マイルス将軍麾下の一隊を指揮していた。 母はリディア・M・ジプラー(旧姓)、インディアン襲撃の脅威のなかで幼い一人息子を守り育 てた。 フォート・トーマスはヒーラ山地とサンタ・テレサの間に流れるヒーラ川沿いにつくられた前哨地、 アパッチ砦までわずかに40キロの地点であった。 メルビンが生まれる3年前、近くのモンタナでカスター将軍の斥候隊がスー族一隊に取り囲ま れ、虐殺されるという事件があった。アパッチ達は白人の進入に対して、最後の決戦を挑もう としていた。 戦士コチーズと、残忍ですばしこく、後のジェロニモ酋長の二人が組んで、どんどん広がる 白人の前線にもの凄い切り込みをかけていた。 インディアンと白人双方の虐殺がくりかえされました。メルビンが7歳を迎えるまで、父はこうした 戦闘に明け暮れていた。 1886年ジェロニモは捕らえられ、オクラホマ州のインディアン居留地に閉じこめられた。北米 先住民の最後の抵抗が終わったのである。 |